古代錦華鳥( Kodai )

錦華鳥が日本に入ってきたのは明治の末ごろといわれますが、それって西暦何年頃?

明治は1868~1911年までの44年間。

その末ごろということは、今2008年ですから100年前くらい?

十姉妹が約240年前、文鳥など約390年も前から日本にいるらしいですから比較するとずいぶん日本での錦華鳥の歴史は浅いです。

   

ということでかれこれ100年くらい前に日本上陸したのが「並(なみ)キンカチョウ」と呼ばれるノーマルグレイだったわけです。

その後20年ほど経って「並」どうしの交配からたまたま出来た「白」が固定され、さらに後になって「並」と「白」の交配から「古代キンカ」が出現しました。

この事実からのちのちまで「古代」は「並」と「白」の交配から作り出されたといわれ続けていますが、濃い色と白い色を混ぜたから中間色が出たなどというメカニズムで出来たのでないことは今の人ならわかるでしょう。

   

その出始めの頃の「古代」という鳥がどんな鳥だったのか私はわかりません。

いま「古代」と呼ばれているのはグレーイザベルです。

しかし昔の古代はこんな色合いじゃなかったという人もおられます。

が、ではどんな?と考えても写真が残ってないので昔のことは何ともなりません。

もしかしてそれがレセッシブ・シルバーだったのかも、と考えているところです。

しかしグレーイザベルは羽色の濃度の個体差が大きい品種ですから、やはりこれかもしれません。

   

「小鳥の飼育と繁殖」   文研出版  前澤 和明 著  

この本の初版が出たのが1969年です。  

この本の中で紹介されている「古代」はすでに間違いなくグレーイザベルです。

  

この当時、まだ「並」「白」「古代」の3種しか写真が載っていません。

  

本文中にもこれ以外の色がいるなど書いていません。

この3種からでは結合種も作れませんから(もし白と古代が結合しても見た目はただの白キンカですから)これ以外の変異種はのちに輸入で入ってきたということでしょう。

   

この本には「一般には並錦華鳥に人気があり白と古代はあまり好まれていない」と書かれています。

錦華鳥らしい錦華鳥は「並」ってことなんでしょう。それは今もです。

  

「古代」のところだけもっと大きく見てみますか? 見紛うことなきグレーイザベルですね。

  

しかしその後、色々な変異種が輸入されるのですが、フォーンやライトバックなんかも古代扱いされていたのじゃないかと思います。

今でも一般の人はフォーンとグレーイザベルは一まとめにして両方とも古代と呼んでいますね。

かと思えば、グレーイザベルがフォーンと呼ばれているのを実によく目にします。

そもそも一般の皆さんは「イザベル」というのはあの白いFISのことのみ指していますから、

グレーイザベルこそがイザベルの真の姿だと知らないのです。

  

昔まだ「並」「白」「古代」しかいなかった頃なら間違いなく「古代」と呼ばれたグレーイザベル。

なまじ色々な変異種が入ってきてブラックフェイスだのオレンジブレストだのイザベルだのと

横文字→カタカナで呼ばれている昨今に「古代」とは呼びたくない、と若い人など思うわけです。

そうなった時に「フォーン」と混同してしまうのだと思います。

  



   


   





キンカフリーク/錦華鳥(キンカチョウ)の品種と遺伝解説

キンカチョウには変異が多く実に多彩なバリエーションを展開しています このホームページではキンカチョウの個々の変異遺伝子がもたらす特徴や遺伝のしかた さらにそれらの変異が結合(コンビネーション)して出現する多数の品種を 写真とともに解説したいと思います